今回はお箏の作曲家について触れてみたいと思います。
前回、お箏は日本に古くからある楽器だとお伝えしましたが、長い歴史の中で一番大きく発展し栄えたのが江戸時代です。江戸時代、1614年に産まれ1685年に亡くなった江戸前期の箏曲演奏家であり作曲家の、八橋検校という方が現在の箏の基礎を築き上げました。八橋検校が亡くなった年に、クラシックの父とも言われるヨハン・セバスティアン・バッハが産まれていますので、箏曲はどれだけ歴史があるかがわかりますね。八橋検校は組歌と言われる歌が入る独奏曲を13曲、段物と言われる手の技巧だけで聴かせる曲を4曲作曲しました。奏法に工夫を加えたり楽器を改良したり、お箏を独奏楽器として成立させ、箏曲の発展に努めました。代表作には、段ものの『六段の調』が有ります。六段は現在でも初期に必ず習う、お箏を演奏する人で六段を知らなかったらモグリというくらい有名な曲です。
そして、この八橋検校のおかげで箏曲が発展し、名人と呼ばれる検校が何人も出て名曲が沢山生まれました。300年以上も弾き継がれて今尚愛されている曲があるなんて、箏曲は世界にも誇れる伝統芸能だと思います。
お箏には縁のない方でも「八つ橋」という名前に聞き覚えがあるのではないでしょうか。そう、あの有名な京都の銘菓です。八つ橋は、大きな功績を残した八橋検校を偲んでお弟子さん達が考案したという説があるのです。そう言われてみると、お箏の形を象っているように見えませんか?
ところで、お箏の作曲家は◯◯検校とか、△△勾当という名前が多いです。これは血縁関係とか芸名とかではなく、当道という制度の官位の名前です。当道とは中世以降近年まで存在した、男性盲人の生計を守る組織です。職業としては、琵琶法師、箏曲演奏家作曲家、鍼灸按摩などがあり、名前の下に官位をつけて呼んでいました。
映画で有名な「座頭市」の「座頭」も当道の官位の1つで、座頭市は、「座頭」の位を持つ「市」という名前の男性ということになります。そして、地唄・箏曲作曲家は「検校」という最高官位の人が多く、結構な権威と格式を持つ人もいたようです。今、お箏の流派で習っている方の多い生田流や山田流も、流祖は検校です。
皆芸に磨きをかけ名人の技で、その当時の人々を楽しませ、そして300年を超えても色褪せないその魅力は現代の人達をも楽しませているのです。